Blog Elements
You can display blog posts in various ways with the “Blog Post” element/shortcode. You can see one example here and even more at the blog main menu item of this demo.
お知らせ4
/カテゴリ: お知らせ/作成者: machida_adminお知らせテキスト
不平ぶつぶつ、それで幸せになれますか?
不平ぶつぶつ、それで幸せになれますか?
あなたは不平屋さんですか? もしそうなら、あなたのつぶやきが、自分や周りの人たちの祝福になったことがありますか? つぶやいて人に元気を与えたことがありましたか? 不平をつぶやくとはどんなことか、本当の意味をご存知ですか?
いくつか例をあげてみましょう:参った、もう起きる時間だよ! あの車、前に割り込んだな! うちの上司は不公平な人だ! ひどい天気だぜ! どうせ働くだけの人生さ!
思わず不平不満を言いたくなるような例なら、誰でもいくつでも挙げることができます。アダムとエバも、神さまが彼らに隠し事をしているに違いないと思う誘惑に勝てませんでした。その結果がどうなったかは、皆さまはよくご存知です。
ブツブツ不平を呟いても、それが罪だと思う人はまずいません。不平を言えば、まずかったかなとは思うでしょう。でも、それはそれだけのことですー特に、誰にも聞かれない環境でつぶやいた時はそうです。でも、聖書、例えば、コリント人への手紙第一…
イエスさまの答えは完璧!
イエスさまの答えは完璧!
あそこに就職するにはどうすれば良いのでしょう?
良き夫や妻、親であるためになすべきこととは?
祈りが聞かれるためには、一体、何をすれば良いのでしょうか?
人生の大事すべてについて、私たちは何をしたらよいのかという答えにせまられています! しかし、イエスさまは、どうしたら祈りが答えられるかについては、完璧な答えを用意してくださっていました。こうおっしゃっています。
“心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。” マルコの福音書 12章30節
私たちが最も必要とするのは、結局、神さまを愛することにつきる、と言うのです。なぜなら、”愛は決して絶えることがない”(1コリント人の手紙…
大切なレッスン
大切なレッスン
会堂司のヤイルスは、自分の娘が今死んだとの知らせを受け取りました。だが、イエスさまは彼におっしゃいました。
「恐れないで、ただ信じていなさい。」” マルコの福音書 5章36節
この言葉を聞いて、ただイエスさまを信じると言うことは、死んだ娘の両親にはかなり難しいことだったでしょう!
どの人も、書き出せば何ページにもなるほどの困難、問題を抱えているものです。そんな困難に出会うと、人は誰か助けてくれる人を求めます。人はその人を励まし慰めてくれるかも知れません。だが、多くの場合、人はそれ以上の何かを求めているのです。人からの助けに抵抗を感じることもあります。それは、自分の受けている困難がどれほど大きいかを理解していないと思うからです。また、私たちは、なぜ誰も助けの手を述べてくれないのかと思ったりするかも知れません! でも、もし私たちが、自分の問題ばかりに集中しているなら、そこから一歩も前に進むことはありません。
神さまが望んでおられるのは、本当に必要なのは、神さまだけにお出来になる助けであることを私たちが理解することなのです。
イエスさまは、まさにこの私たちが必要としている助けを与えるためにこの世においでになりました。それは、私たちの心を変えることでした!
”私はあなた方の内に住まう。” とイエスさまはおっしゃっています。私たちの存在の中心、心そのものを変えようとされているのです。その変化は、私たちが、”生まれ変わった” 時から始まります。それだけでなく、イエスさまは、私たちを変え続けて行こうとされるのです。
鏡を見れば、そこに自分が写っています。しかし、神さまは、私たちの中に、ご自分の御子を見ようとされているのです! 神さまは、私たちの中に、人が目指すべき目標の人、御子を見ようとしておられ、私たちが成長し、その人のようになるための機会を色々と与え続けられます。だが、私たちは、自分の身に起こること見て、これが神さまがなさろうとしていることだと言うことを理解することはなかなか出来ません。
人はまるで子供のようですー子供は、なぜ毎日学校へ行かなければならないかが分かっていません。子供たちは、毎年毎年、厳しいレッスンを受け、先生たちはいつも、本当に分かっているかどうかをテストします。神さまもまた、私たちにレッスンを与え、人をテストし続けられます、こんな困難に出会う理由がないと人が思う困難をお与えになることを通して。
でも、神さまにはそうする理由がありました。人が御子に似たものとなっていくように望まれ、その助けをなさっているのです。イエスさまはこの世に来て、暮されました。だからそのことがお分かりになるのです。サタンが私たちが失敗させようとしているのを、イエスさまはご存知です。しかし、イエスさまが目指しておられるのは、人が神さまの意図した通りのものになっていくことでした。確かに、これは厳しいことです。でも、イエスさまがともにいて助けてくださるのです。こうおっしゃっています:
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」”
マタイの福音書 28章20節
神さまは、すべてのことを益に変えてくださることを学ばなければなりません(ローマ人への手紙…
クリスマスの贈り物
クリスマスの贈り物
今年1年の間に、私…
”獄中からの賛美”を記念して
”獄中からの賛美”を記念して
最近、ザ…
挫けてはなりません
挫けてはなりません
ご自分の処刑が目前に迫った時、イエスさまはこんな祈りもできたはずです。
”父よ、もしわたしがこんな死に方をしたなら、弟子たちは、恐怖のあまり、あなたの御言葉を全世界に伝えることなど出来なくなってしまうでしょう。わたしの教えを信じた者たちも、あれは偽教師だったに違いないと思うかも知れません。わたしを守ってくださるなら話は別ですが。”
十字架の上の死は、この世の抱える問題を解決するために神さまが取られた手段ではあり得ない、なぜならーーと言う理屈を、イエスさまは嫌と言うほど聞かされたはずです。
しかし、イエスさまの心は揺らぐことはありませんでした。イエスさまは神さまを信じ、喜んですべてを委ねておいででした、こんな祈りをされるほどに:
”わたしの願いではなく、御心の通りにしてください。”…
